例えばそれは、ある家族だった。
 仲の良い両親と、頭の良い息子二人。父は某大学内にある博物館の館長で、その日は帰りが遅くなるとのことだった。しかし息子たちはその日、どうしてもすぐ父に伝えたいことがあったので、母と三人で閉館後の博物館へ父を迎えに行ったのであった。
「父さん! 受賞が決まったよ!」
 誇らしげに胸を張る弟。大学生の兄と高校生の弟は、二人の共同研究という形で、とある科学賞へ研究成果を応募していた。
「おお、そうか! 決まったか!」
 父は喜びながら家族を事務所へ招き入れ、用意しておいた二つの箱を兄弟にそれぞれ手渡す。二人が箱を開けてみると、中には懐中時計が一つずつ入っていた。
「受賞おめでとう。お祝いのプレゼントだ」
「まぁあなた、もう用意してたの?」
「受賞すると信じてたからな。お前たちのために作ってもらった、世界に一つしかないデザインだぞ」
 目を輝かせて懐中時計を取り出す二人。兄のは金色で弟のは銀色だ。
「父さん……ありがとう!」
 懐中時計を見せ合う兄弟の姿に、父は満足そうに口元を綻ばせる。
 そこへ母が寄ってきて、自分の腹部を優しく撫でた。
「あとはこの子が元気に産まれてくれれば、言うことなしね」
 母は、年の離れた第三子を妊娠していた。四〇代になっての出産にはいろいろと不安もつきまとう。 「大丈夫だよ母さん。大学の短冊に、無事に産まれますようにって書いておいたから」
「そうか、そう言えば今日は七夕だったな」
「非科学的だけど……俺も書いといたよ」
「まぁ、ありがとう。だったら安心ね」
 母に頭を撫でられ、もう子供じゃないんだから、と口を尖らせる弟。
 ちょうどその時、空から流れ星が降ってきた。
 流れ星は世界中に降り注ぎ、その落ちた場所から突然、浸食が始まった。
 人々が流れ星だと思ったそれは、地球外から降ってきた『種』だった。
 種は爆発的にその根を伸ばし、有機物、無機物を問わず、触れたもの全てに寄生し始めた。
 根は触れたものの内部に侵入し、内側からその組成を書き換えた。あるものは歪み、あるものはひび割れ、あるものは溶け……寄生されたものは様々にその外見を変容させ、世界は急速に歪んでいく。異常に気付いてその侵食範囲から逃げようとした人々も、その多くが根に追いつかれ、寄生されていった。
 その根は、博物館にも伸びてきた。
 両親は息子たちを守ろうとしたが、父は命を落とし、母は根に寄生された。
 息子たちは、かろうじて人の姿形を保っていた母親を見捨てることが出来ず、共に隠れながら生きる事を選んだ。
 世界中で、同じような悲劇が起きていた。  三年の月日が流れた。
 世界はすっかり変わってしまった。種に寄生された場所は『汚染地帯』、寄生された人間や動物は『汚染動物』と呼ばれるようになり、人々の恐怖と嫌悪の対象となった。
 兄と弟は、汚染動物と化した母親と共に、博物館跡に隠れ住んでいた。
 博物館内にも汚染動物は住み着いていたが、同じように汚染されている母と一緒だからなのか、何もしなければ積極的に襲ってくることはなかった。
 三年経っても母は出産することはなく、ただその腹だけが大きくなっていった。
 そしてある日。
 博物館に、勇者がやって来た。
 歪んだ世界に現れた、人間離れした力で汚染動物を倒す少女たち。
 童話の主人公、子供アニメの魔法少女、戦隊物の特撮ヒーロー……誰もが一度は憧れた正義の味方の姿で、汚染動物のピンク色の返り血を浴びながら戦う彼女たちを、人々はいつしか『ジェノサイド・ピンク』と呼ぶようになった。
 博物館に現れたのは、テレビゲームの勇者のような姿をした少女。周りには、武器を持って徒党を組んだ人間たち。勇者を筆頭に、化け物退治にやって来たのだ。
「汚染動物め! その子たちから離れろ!」
 勇者は汚染動物たちを蹴散らしながら、兄弟の方へ走っていく。  弟は母の姿を隠すように抱きしめ、兄はそんな二人を庇うように両手を広げ、勇者の前に立ちふさがった。
「待ってくれ! これは、俺たちの母さんなんだ!」
「それはもう汚染動物なの! 君たちのお母さんじゃない!」
 分かっている。それは兄弟にも分かっていた。
 だが、これはもしかしたら新種の伝染病か何かで、いつか治るかもしれない。兄弟はその希望を捨てきれなかった。
「頼む! 母さんは人を襲ったりしないんだ! だから、俺たちのことはそっとしておいてくれ!」
 真っ直ぐに勇者を見つめる兄。
 勇者は兄を見つめ返し、ややあって、一つ小さく頷いた。
「……分かった」
 よかった、分かってもらえた。兄と弟は顔を見合わせ、安堵の息をつく。
 次の瞬間、勇者の剣が、母親の顔面を刺し貫いた。
「……え?」
「どうやら君たちも、もう汚染されてるみたいね」
 母の返り血を浴びた勇者の少女は、その目をピンク色に光らせると、突然狂ったように笑い出す。
「きゃははははっ! 汚染動物だ! みんな、やっちゃえ!」
 その言葉を合図に、取り巻きの人間たちが一斉に兄弟に襲いかかった。
「やめてくれ! 俺たちは汚染されてない!」
「化け物を庇う奴も化け物だ!」
 手で。足で。石で。棒で。
「化け物は死ね!」
 兄弟は、同じ人間の憎悪と悪意をその身に受け、意識を失った。
 弟が目を覚ました時、勇者たちはもういなかった。
 辺りには汚染動物と人間の死体がいくつも転がっている。汚染動物による抵抗が想定よりも激しく、被害を抑えるために一旦撤退したのだろう。
 傍らには、ボロボロになって転がる兄の姿。弟は立ち上がる気力もなく、這いずりながら母の死体に近づいていく。
 すると、死んだと思っていた母の体が、びくりと動いた。
「母さん!? 生きてたの!?」
『ウ……グ、ガ、ギィィィィィアアアアアッ!』
 母は、大きな声で叫び。
 その腹が、内側から裂けた。
「……かあ……さん……?」
 弟の目の前で、母は今度こそ息絶える。
 裂けた胎内から這い出てきたのは、目をピンク色に光らせた、赤ん坊だった。
「あ……あ……うあああああああああああーーーーーーーーーーっ!」
 世界中で、同じような悲劇が起きていた。