街がジェイルに飲み込まれ、生ける監獄と化してから、五年の歳月が過ぎていた。
街に住んでいた人々の多くはメルヒェンによって独房エリアへと収容され、拷問を受け続けるか、命を落としている。
メルヒェンへの対抗組織『黎明』が組織されてからは被害は減っていたが、それでもメルヒェンに奪われた人々や建物を奪い返すまでには至っていない。
だが、この日。
ついに人々は、この地下監獄から脱獄して再び太陽の光を取り戻すための第一歩を踏み出そうとしていた。
監獄塔攻略。
ジェイルの中心にそびえ立ち、天を目指して伸び続ける歪んだ塔。あらゆるものが異常なこのジェイル内においても、ひときわの異彩を放つ不気味な監獄塔。
監視の結果、塔には長い間メルヒェンの出入りが見られなかった。もしかしたら監獄塔の中にメルヒェンはいないのではないかという仮説を確認するため、少人数の調査隊が塔内部に侵入したところ、少なくとも三階部分までは確かにメルヒェンはいなかった。
その調査結果を受け、もっと大規模な調査隊を送り込んで塔を上まで登ってみよう、という案が出たのが今から一年前のことである。それからさらに一年の監視と調査を続け、つい先日、やはり塔内部にメルヒェンはいないと考えていいだろうと結論が出た。
そして、今日。
黎明自警団の精鋭により組織された三個分隊からなる小隊が、隊長の号令により監獄塔への突入を開始した。
「なんだこの茨……隊長、全然切れませんよ」
銃剣を手にした隊員が、うんざりした顔で振り向いた。
現状、やはり塔の中ではメルヒェンと遭遇していない。だからと言って調査が楽に進むわけではなかった。塔内部には様々な仕掛けがあり、それが調査隊の行く手を阻んでいたのだ。
今、調査隊の前にある扉には茨が絡みついている。隊員が銃剣で切り払おうとしたのだが、なぜかその茨に銃剣の刃が通らない。
「……博士を呼ぶか」
隊長はトランシーバーを取り出し、一つ手前のフロアで待機させている分隊に連絡を取った。この分隊が博士を始めとした黎明の主要メンバーを警護している。まず隊長のいる分隊が先行し、博士の知識や知恵が必要になったら安全を確保してから呼ぶという形だ。
間もなく合流した博士に、隊長は状況を簡単に説明した。
「……というわけなんだが、見てもらっていいか?」
「ふむ……助手くん」
「はい」
博士と助手が茨に近付き、何やら調べ始める。
こうなると隊員達はその結果を待つことしか出来ず、周囲の警戒をしながら時間を潰すことになる。
隊長は再びトランシーバーを取り出し、今度は一階に待機している分隊と連絡を取る。
「状況はどうだ?」
『異常ありません』
塔の中にメルヒェンがいないとしても、調査隊の侵入に気付いたメルヒェンが外から来るかもしれない。それを防ぐために一分隊を塔の入り口に待機させているのだが、今のところはその様子もないようだった。
「思ったより安全ですね」
「そうね。おやつにする?」
先生とお母さんが呑気に会話する。メルヒェンが全く出てこないので、緊張感を保つことも難しい。
「おい二人とも……」
そんな二人に、隊長が気を緩めるなと注意しようとしたところで。
「これはどうやら、茨と鎖が融合しとるな」
扉の茨を調べていた博士が顔を上げた。
ジェイルに寄生されたものは複数の物体が融合して歪んでしまうことが多い。この茨が銃剣で切れなかったのは、鎖と融合していたからというわけだ。
「鎖か。なら俺の出番だな」
手持ち無沙汰そうにしていた棟梁が、待ってましたと工具箱を開けた。そして中から取りだした油圧式の鉄筋カッターで茨の鎖を切り始める。今回の調査で一番役に立っているのは意外にも棟梁であった。
やがて、ばちんと大きな音を立てて鎖が切れる。
非戦闘員を下がらせて隊員達が扉を開けるが、やはりその向こうにもメルヒェンはいない。
「……よし、進むか」
隊長の合図と共に、全員がさらに奥へと進み始める。
その後ろを着いていく博士が、無造作に手書きのメモを捨てた。
これは博士が仕掛けの解き方を考える際の覚え書きで、仕掛けが解けた後はもう用済みとばかりにその場に捨てている。
この時、博士が捨てた手書きのメモの数々がある人物の手によって拾われることになるのは、そう遠くない未来である。
とあるフロアで、調査隊は気になる部屋を見つけた。
その部屋の入り口には桜の花弁の形をした「さくら組」
というプレートが貼られており、まるで幼稚園のようだった。
調査のために中に入った隊員達は、そこにあった物に息を呑んだ。
「……なんだ……これは……」
部屋の中に、何か大きな物体がある。人間よりも大きな、植物の種のような。しかしその種はまるで肉のように赤くぬらぬらとした表面をしており、そこから壁や床に伸びている多数の管は、根のようにも、血管のようにも見える。
「これは……心臓? いや……球根、か……?」
当然ながら博士にもそれがなんなのか分からないようで、眉間に皺を寄せてただ呆然とそれを見つめている。
しかし、それが何かは分からなくとも、その場にいる全員が感じていた。
これはきっと、ジェイルの何か重要なものだと。
「助手くんよ、これを調べるぞ」
「はい!」
駆け寄った助手が、鞄から何やら色々な道具を取り出した。道中の簡易的な調査ではなく、いよいよ本格的な調査を始めるつもりだ。
「博士、時間がかかりそうか?」
「分からん。しかしかかるだろうな」
「だろうな……よし、俺達はここで休憩にするか」
隊長が言うと、隊員達からほっと安堵の空気が伝わってきた。メルヒェンがいないとは言え、仕掛けを解きながら塔を登り続けるのはやはり体力を消耗させていたのだ。
「あら、じゃあやっと私の出番かしら」
お母さんが、何やら嬉しそうにしながら背負っていた大きなリュックをおろす。その中から出てきたのは、カセットコンロ、大きめの鍋、ペットボトルの水。
「何を持ってきたのかと思えば、そんなものを……」
「携帯食料も温かい方がいいでしょう?」
呆れる隊長にお母さんは笑顔で返す。調査隊の食料はレトルトパックや缶詰で一人一人が所持しており、別に温めなくても食べられるものばかりだ。余計な世話を、と隊長は一瞬思ったが、しかし温かい食料というのは空腹だけでなく心も満たしてくれる。
「やれやれ……お前ら! お母さんが糧食を温めてくれるとよ!」
隊長が言うと、隊員達から喝采があがった。やはり温かい食べ物を嫌がる者などいない。
「はいはい、じゃあお湯を沸かすからちょっと待ってね」
お母さんがカセットコンロに鍋を置き、その中にペットボトルの水を注ぐ。
そして火をつけようとしたところで、何かがお母さんの身体を貫いた。
「……え?」
博士が調べていた球根のようなものから、一瞬で複数の根が部屋中に伸びていた。その根はお母さんだけではなく、数人の隊員を刺し貫いている。
隊長の硬直は一瞬だった。
「た……退避いいいいいっ!」
隊員達が慌てて武器を手に取り、部屋の外へと駆け出していく。何が起きたのかは分からないが、とにかくこの部屋にいてはいけないという事だけは分かった。
非戦闘員の近くにいた隊員は、なんとか彼らを守ろうとする。
「ま、待て! まだ調査が……」
「言ってる場合か! さっさと逃げろ、死ぬぞ!」
「お母さん! お母さんの手当てをしないと……」
「もう手遅れだ!」
その場に残ろうとする博士と先生の二人を何とか引きずり、隊員達は部屋の外へと退避する。
だが。
悪夢は、その先に待っていた。
「隊長、メルヒェンです! でかい……!」
通路の先は何故か深い闇に覆われており、その闇の中で、一体の巨大なメルヒェンが道を塞いでいる。
大きさは人間の倍以上は楽にある。首のない頭からは凶悪な角が二本伸びており、身体は節足動物のような外骨格に覆われ、地面につきそうな異常に長い腕が、肉と骨のつぎはぎで作られたようなチェーンソーを引きずっている。
「発砲許可! 撃て!」
隊長は冷静に命令を下した。隊員達が一斉に小銃の引き金を引く。巨大なメルヒェンと戦うのは初めてではない。確かに手強いが、こちらは人数も武装も十分だ。一体だけなら倒す事は可能なはず。
その、はずだった。
「……冗談だろ」
隊員達の顔から、血の気が引いた。
頭にも、胸にも、腹にも、手足にも。
何十発も、何百発もの銃弾が、確かに命中しているのに。
「なんで……なんで死なないんだよおおおおお!」
巨大なメルヒェンは、どれだけの銃弾を浴びても、闇を連れて近付いてきた。
今までにもしぶといメルヒェンはいたが、銃で頭を撃てば死んでいた。なのにこのメルヒェンはいくら撃たれても死ぬ様子がない。それどころか、立ち止まることすらせずに真っ直ぐに向かってくる。
「撃ち方やめ! 反対側から逃げろ!」
隊長の判断は早かった。即座に攻撃を中断させ部隊を反転、別のルートからの逃亡を指示する。
これと戦ってはいけない。本能がそう叫んでいた。
かろうじて博士や先生達をかばいながら、調査隊は逃げる。逃げる。逃げる。
そして、その命運も尽きる。
逃げようとした道の先から、大量のメルヒェンが現れた。
「馬鹿な……第一分隊は何をしてた!? なんで連絡がない!」
隊長が叫ぶが、入り口を見張っていた第一分隊の隊員達は、どこからか塔内部に現れた大量のメルヒェンの奇襲を受けてその時すでに全滅していた。
「くっ……撃て!」
苦し紛れの射撃命令。隊員達が銃を乱射する。
また効かないのではないかという最悪の予想が頭をよぎったが、普通に効いているようだ。
しかし今度は数が多い。殺しても殺しても湧いて出るメルヒェンに、隊員の数も少しずつ減らされていく。
「け、怪我をした人は下がってください! 私が……」
「馬鹿、前に出るな!」
倒れた隊員に駆け寄ろうとした先生の腕を、隊長が引っ張って止める。
振り返った先生と、隊長の目が合う。
そして、隊長の目の前で、メルヒェンが先生の身体を食い千切った。
「……たい、ちょ」
それが、先生の最後の言葉。
一瞬、隊長の頭は怒りで焼き切れそうになった。
大声で叫んで、銃を取って、手当たり次第に乱射してしまいたくなった。
だが、課せられた使命の重さがそれすら隊長に許さなかった。
人々をこの監獄から連れ出し、再び太陽を取り戻す。それが黎明の使命だ。
そのためには、ここで全滅するわけにはいかない。それだけは許されない。
人々を助けるために、最優先すべき事。隊長は冷静にそれを判断した。
「博士を、なんとしても博士を守れ!」
博士はこれまでずっとジェイルとメルヒェンの研究を続けてきた。その知識や知恵だけは代わりが効かない。人々が救われるためには、博士だけは絶対に必要なのだ。
隊長の命令を聞き、隊員達が博士を逃がそうと動く。隊長はその退路を確保するためにメルヒェン達にありったけの銃弾を叩き込む。歯を食いしばり、血の涙を流しながら。
「絶対に博士を逃がすんだ! 博士だけは—!」
この日。
黎明の調査隊は、ただ一人を残して全滅した。
To Be Continued....
連載第5回は、6月9日発売の電撃PlayStation® Vol.616に掲載