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第2回 エーテル感応


「……うっ……ああっ!」

科技葉原Q-BOXの1室に、嬌声にも似た声が響く。

「……はあ……はあ……あっ」

皮膚の上を撫でるようなぞわぞわとした感覚に、神貫ナツメはベッドの上で思わず身体をビクンと震わせた。

「……ナ、ナツメ、大丈夫? 変なところ触っちゃった?」

同じベッドの上で覆いかぶさるようにしている小柄な少女――漆原ホタルが、白いレオタード姿で呼吸を乱したナツメの顔を覗込み、心配そうに問いかけてくる。

「……ううん、へ、平気だよ。ちょっとくすぐったかっただけ。気にしないでホタル、続けて……」
「う、うん。じゃあ、ここかな……?」

ナツメが言うと、ホタルが頷いた。そしてまたナツメの肌にゆっくりと特殊な形状の機器を這わせはじめた。ホタルの吐息が聞こえてくるような距離で、皮膚を伝わる感覚をナツメが声を押し殺してこらえていると――

「ひゃんっ!」

不意に強烈な何かの奔流が、ナツメの身体に押し寄せた。
思わずナツメは身体をくの字にくねらせ、

「冷たいのが……っ!!」

と、高く声を上げてしまっていた。
それとほぼ同時に、隣のベッドの上からも別の、嬌声にも悲鳴にも似た押し殺した声が響いてきた。

「チヨさん……我慢しなくて平気デスよ? ワタシたちしかいないんデスから声を出しても」
「……別に、我慢しているわけじゃないわ……いいからミクリ、早く……」
「わかりました。ではいきマスよ」

それはナツメやホタルと同じく、ギインドールズの一員である、西園寺チヨと霧隠ミクリだった。
チヨが白いレオタード姿でベッドの上に仰向けに横たわり、その上から優しい微笑みを浮かべたミクリが覆いかぶさっている。
そのミクリが、ふたたびゆっくりとチヨの身体に特殊な機器で触れはじめる。ベッドが軋む音と共に、チヨがこらえきれないように声を漏らす。

「はっ……あ、熱い……」

ミクリが柔肌に機器を滑らせていくと、次第にチヨの呼吸が荒くなっていく。やがてチヨは、声を押し殺したまま深く息を吐き出した。

「……もうだめ……」
「どうやらここがチヨさんのホットスポットだったみたいデスね」

一際大きくチヨが反応した箇所を優しくさすりながら、ミクリが言った。チヨのほうはさっきまでの感覚が収まりつつあるのか、頬が紅潮しているものの、呼吸は落ち着いてきていた。

「どうシマスカ? ここで終わりにしマスか?」
「……まだ、大丈夫よ。お願い、もっと続けて」
「チヨさんはがんばり屋さんデスね。では……」
「うっ……くすぐっ、たい」

そんな2人のやり取りをぼんやり眺めていると、ホタルが心配そうに問いかけてきた。

「……ナツメは、どうする?」
「わたしもまだ、大丈夫。ホタル、続けて」
「うん、わかった……」

頷き、ホタルがまた機器で肌に触れた。
瞬間、今度は先ほどよりさらに大きな奔流が押し寄せてきた。

「ああ! また冷たいのがっ」

ナツメは身体を震わせ、声を漏らした。
やがて冷たい感触が身体の中を通り過ぎると、大きな疲労感が押し寄せてきた。
ナツメは、ぐったりとベッドに深く身を沈めた。

「ハイハイ、オーケーよ」

その時、部屋の片隅でナツメたちの行動を見守っていた女性が、手をパンパンと叩きながら、艶のある声で言った。

「みんな、政痕の新たな力の発現を確認できたわ。≪エーテル感応≫は成功よ」

華咲イロハが声をかけてきたのは、ナツメたちが戦闘を終え科技葉原Q-BOXに帰還し、その一角にある救護設備で怪我の具合などをチェックしている時だった。

「ねえ、あなたたち」
「ちょ、ちょっとイロハ。なんで服を……って、ちょっと、どこを触って――」
「あなたたちの体調を管理するのは、厚生労働大臣である私の大事な仕事ですもの。メンテ、よ」

ナツメの抗議を笑って受け流しながら、イロハは答え、すぐに少し口調を変えて続けた。

「ところで、少し実験に付き合ってくれない?」

実験という言葉にナツメたちは顔を見合わせた。
「そんな、妖しいものじゃないわよ」とイロハは軽く笑って、不意に表情を引き締めた。

「……みんな、今日の戦いは見事だったわ。でも今後は、今日みたいな雑魚ばかりが相手とは限らない。何しろ敵の正体は、まだほとんどわかってないんだから」
「……ええ、そうね。それで?」

チヨが真剣な顔で頷き、先を促す。

「だから私たちも、全力を尽くしてる。少しでも戦いが優位に進むように、ハスミは情報の分析に、ヨミは作戦の立案に心血を注いでいるわ。モナもコテツと一緒に新技術の開発に余念がない」

と、イロハはここにはいない内閣のメンバーたちの努力を讃え、そして言葉を続けた。

「だからね、私も試したいのよ。あなたたちの力を、政痕の力を強化する方法をね」

そうしてイロハが説明したのが、先ほどまでナツメたちが行なっていた<実験>だった。
ナツメたちは何もふざけあっていたわけではなく、彼女たちの身体のホットスポットという場所を探していたのだった。
イロハが開発した≪エーテル感応≫というシステムを使うことによって、ホットスポットを介し体内にエーテルを注ぎ込み、それにより政痕の力を強化することが可能なのだという。
もちろん、外部より強制的にエーテルを注ぎ込むのだから、受けた側の体力の疲弊はなかなかのものとなる。せいぜい日に2度……いや3度エーテルを吸収するのが限界ではあるが。

(……いったい、何が変わったんだろう……)

全身を汗と心地よい疲労感に包まれつつ、ベッドの上でナツメはぼんやりと考えていた。
新たな力……政痕の強化。今はまだ疲労感があるだけで実感も湧かないが、イロハが言うのだから、きっと今後の戦いに役立つのだろう。
……考えてみれば、不思議なものだ。
あの日、あの時まで、自分はただの女子高生に過ぎなかった。父がいて、母がいて、学校に通い、友達とおしゃべりをして、部活に汗を流す。どこにでもあるような、当たり前の生活。

(……でも……)

あの日のことは、目を閉じればすぐに思い出せる。そして、一生忘れることはないだろう。
突然空が黒雲に包まれ、そして空間を引き裂くように上空に出現した逆さ都市群。そこから地上に攻め寄せてきた異形の魔物たち。
逃げ惑い、襲われ、そして倒れていく人々。そんな人々を逃がすために頼りない装備で立ち向かい、血溜まりに沈んでいく警官たち。
不幸中の幸いと言っていいのだろうか。
ナツメたち一家は運よく、地下に用意されたシェルターに逃げ込むことができた。それは本当に万に1つと言っていいほどの幸運だった。あの日、かなりの人々が魔物の犠牲になっていた。
さらに、かろうじて逃げ込むことができた人々にしても、あれ以来、シェルターから1歩も出ることができないでいる。
事実上、あの日でトウキョウは壊滅したのだ。
そっと、自分の額に手を当てた。
かすかな熱を感じる。政痕……どうして、こんなものが自分に宿っているのだろう?

(ううん、今はそんなことよりも……)

いま大事なのは、自分にそれをする力があるということだった。また以前のような、平和な日々を取り戻すために戦う力が。
だとすれば、迷う必要などなかった。
もちろん、魔物と戦うのは怖い。逃げ出したい。今すぐにでも。本来ならわたしは女子高生で、みんなとおしゃべりしたり、買い物したり……。

(でも、わたしには……)

1人ではとても無理だった。でもいまのわたしには、一緒に戦ってくれる仲間がいる、それを支えてくれる人がいる。そして、わたしを信じてくれる人たちも。

(だから……わたしは自分の役目を果たすんだ)

ナツメは瞼をおろした。疲労でそろそろ限界だった。仲間たちと出会った時のことをふと思い浮かべながら、ナツメは眠りに落ちた――