第5回 正義の忍者
「ええーっ?!」
突然聞こえてきた声に「ホ、ホタル?!」と声の主の名前を呼びながら、ナツメは慌てて振り返った。
「あれ? いない。チヨ、ホタルが――」
「きゃああああ――?!」
すぐ後ろにいるはずのホタルの姿が消えていた。不審を覚えたナツメは、同行しているチヨに声をかけようとしたが、視線を向けるよりも早く今度はチヨの悲鳴が聞こえてきた。
「チ、チヨ? どうしたの?! って、チヨまで??」
消えていた。ホタル同様にすぐそばにいるはずのチヨの姿も、ナツメの視界から忽然と消えた。
「嘘、でしょ」ナツメはごくりと唾を飲み込んだ。
不安と、それを上回る恐怖がナツメに襲いかかっていた。冷たい汗が、首筋を通って背中を伝っていく。
もともとこの地区にきたのは、ナツメの提案だった。
「またレーダーに映ったはずの魔物がすぐに消えたらしい」
科技葉原Q-BOXでその話を聞いたとき、もしかしたらまたそこに《政痕》の持ち主がいるかもしれない。ナツメは直感的にそう思った。
そうしたわけで、チヨとホタルの3人でスカウトを兼ね、様子を見に来たのだが……。
「……ナツメ……ナツメちゃあん……」
「ホタル? どこ?」
「こっち……ここだよぉー」
「こっちって……ホタル!! って、ええ?」
いた。よく見ると、ホタルがさっきまでいたはずの場所に大きな穴が開いていて、その中で尻餅をついているホタルの姿があった。
「どうして、そんなところに、落とし穴が?」
「そんなの、ホタルが知りたいよ~」
「ってことは、チヨも……?」
「……ナツメ。上」
その声を追って、ナツメは視線を上げた。
そこにチヨがいた。天地が逆の姿になって。すぐそばの電信柱から吊るされた網の中で、罠にかかった獣のようにチヨが宙づりになっていた。
「どうしてそんなとこに……」
「私が聞きたいわよ。足元で音がしたと思ったら次の瞬間……誰かが罠を仕掛けてるんだわ。ナツメ、あなたも、気をつけて」
憤懣やるかたないといったチヨの言葉に、ナツメは慌てて周囲を見回した。そして警戒しながらおそるおそる1歩足を踏み出して――カチッ。
「え? カチッて、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
何かが足首に絡みついたかと思うと、ものすごい上昇感がナツメの全身を襲った。気が付くと、目に映る世界が逆さまになっていた。
「だから言ったでしょ……。もう、ナツメったら」
「み、身動きが取れない……」
「ちょっと?! どうしたの?! ホタル怖いよー」
ナツメたちが三者三様に声を上げていると、強く地面を踏みしめる音が響いた。
「魔物たちよ、観念しナサイ! 人に隠れて悪を斬る、正義の忍者――って、あら?」
ナツメたちの足下には、白い忍者のような衣装に身を包んだ、金髪碧眼の少女が立っていた。
少女は、困ったように眉根を寄せた。
「……あのー、アナタたち、どなたデスか?」
ナツメは「あなたこそ、誰?」と返した。
「ワタシの名前は霧隠ミクリといいマス」
4人はすでに場所を移動していた。ミクリと名乗った少女は、ナツメたちを仕掛けから解放した後、近くにある神社に3人を案内したのだった。とはいえ、すでに神主をはじめ神社の人々はシェルターに避難し無人となっていた。
「で、あれはどういうことなの?」
チヨが少しむすっとした声でミクリに訊ねた。
「もちろん、魔物を捕らえるタメの罠デスよ」
「……ってことは、あなたが魔物退治を?」
「ハイ。これまでに2匹捕まえて倒しマシタ」
「いったい、どうやって、あんな罠を」
「ワタシ、たくさんニンジャの本を読みマシタから。ニンジャの本にはたくさん仕掛けが載っていマス。あれぐらいは簡単デスよ」
チヨの質問に、誇らしげに胸を張ったミクリが答える。ナツメたちは顔を見合わせた。
「……《政痕》関係なかったみたいだね」
「やれやれ。まさかこんな原始的な方法で魔物を倒す人がいるなんて……」
「……あら、みなさん、お帰りデスか?」
「ええ、ちょっと当てが外れたので……ああ、そうそう、ミクリさん?」
「なんでしょう、ええと……チヨさん?」
「あなた、自分の力で魔物と戦うという意思は立派だと思うけど、ちゃんと政府の指示に従って避難してくださいね。 あんな罠で、いつまでも魔物に対抗できるとは思えないわ」
「わたしたちは引っかかっちゃったけどね……」
思わずつっこんでしまったナツメだったが、チヨに鋭い視線を向けられ慌てて俯いた。
と、ふと自分と同じようにミクリも俯いた。
「それはできマセン」俯いたままミクリが言った。
「できないって、どうして?」とナツメ。
「シェルターに行けば、命は安全デス……でも、命は守れても、文化は守れマセン」
ミクリは顔を上げてナツメにそう答えた。そして言葉を続ける。
「二ホンには素晴らしい文化がありマス。この神社のように、他にも、たくさん。ニンジャだって……でも、魔物はそうした文化を破壊しマス。あの国会議事堂のように。政府のみなさんは、国民は守っても、文化までは守ってくれマセンから」
「それで、自分で守ろうとしたってこと?」
ナツメの言葉に、ミクリはこくりと頷いた。
ナツメたちは顔を見合わせた。これからナツメたちが、ミクリの言う政府となる。ナツメたちは二ホンを守るため、全力を尽くす覚悟がある。でも、文化を守るという意識まであっただろうか。
「そういえば、みなさんはどうして、自由に外を歩きまわっていられるのデスか?」
その質問に、一瞬どう答えるかナツメは迷った。しかしミクリは信用できる相手だと判断して、正直に自分たちの正体と目的を明かすことにした。
ミクリに対し、わたしたちが文化を守るとは簡単に約束はできない。わたしたちはまず、国を、国民の命を優先しなくてはいけない。でもそのうえで、どうか自分たちを信じて、期待して欲しい。ナツメは、そうお願いするつもりだったのだが……。
「アナタたちが、新しい内閣になるんデスか? だったらワタシも連れていってクダサイ」
ミクリが強い口調でそう言い出した。想定外の反応に、ナツメは驚いた。
「ううん、ごめんねミクリ。誰でも連れていくってわけにはいかないんだよ」
「さっきも説明したように、内閣に参加できるのは《政痕》を宿している者だけなの」
よくわからないと、ミクリが首を傾げる。ナツメはチヨとホタルと視線を交わし、頷き合った。そして互いに手を触れ合う。
じんわりと、額に熱いものを感じ、自身の、そしてチヨやホタルの呼吸が荒くなる。
「ほら、これが《政痕》だよ」
自身の額を向けながらナツメは言った。
ミクリはその様子を見て、微笑んでいる。そして「だったら、大丈夫デスよ」と一言。
「え? どういうこと?」
「ワタシにもありマスから」
そう言うと、ミクリはおもむろに手を伸ばし、ナツメとホタルの手に触れた。
「…………ほら、ネ」
彼女の額で、紋様が輝き出した。
「でも、どうして忍者なの?」
ナツメたちはミクリを受け入れた。というより、彼女が《政痕》の持ち主である以上、拒む理由はどこにもなかった。
ミクリを伴って科技葉原Q-BOXへの帰り道、なんとなくナツメは訊ねてみた。
「もちろん、カッコ良いからデス」
迷いのない答えが返ってきた。
「それにニンジャはスゴイんデスよ? 素手で首を跳ね飛ばしマスし、ACもどんどん下がりマス」
「……素手でなに? ってか、ACってなに?」
「ウフフ、こちらの話デス」
ほくそ笑みつつそう言ってごまかした後、ミクリは少し真剣な表情を浮かべ、
「それに、実はワタシは――」
「え?」
「――いえ、なんでもありマセン」
その後ミクリは微笑を浮かべるだけで、それ以上は何も話してくれなかった。