赤ずきんは、自分がいつどこで生まれたのかを知らない。
物心ついた時にはすでに黎明の研究所にいて、博士を始めとする黎明メンバーに育てられていた。博士の話によると、まだまともに言葉も喋れなかった四歳くらいの時に突然「お婆さんのお耳はどうしてそんなに大きいの?」と口にしたそうだが、赤ずきん自身はそれもよく覚えていない。
ただ、それまでどんな名前で呼んでも反応しなかった彼女が、その時に自ら『赤ずきん』と名乗ったことにより、それ以降はそう呼ばれるようになった。
赤ずきんが黎明に保護された時、身体の育成具合はだいたい二歳程度だった。なので、今は亡き隊長が赤ずきんを拾った日を二歳の誕生日とした。
それから、ちょうど八年の歳月が過ぎた。
「一〇歳のお誕生日おめでとう、赤ずきん」
「ありがとうみんな! ふーっ」
誕生日ケーキに立てられた小さなろうそくの火を吹き消すと、周りの大人達からぱちぱちと拍手が送られた。
「ねぇ、これ食べていいの!?」
「もちろん。あなたのために作ったのよ」
「わーい! ミコ大好き! いただきまーす!」
赤ずきんが嬉しそうにかぶりつく薄い桃色のケーキはもちろん本来のケーキではない。今や卵は貴重品、砂糖や牛乳に至ってはもう手に入らないので、水と小麦粉などの手に入る材料だけで作ったケーキもどきである。小麦は何年もかけてやっと栽培が安定してきたところだ。
「甘~い。おいしい~」
滅多に口にすることのできない甘味に顔をほころばせる赤ずきん。しかし、そのケーキを作った本人である少女は、赤ずきんの笑顔に眉をひそめて顔を背けた。
眼鏡をかけて白衣を着たその少女の名前は「視子(みこ)」。一八歳という若さにして黎明の救護班に所属し、医療に携わりながら博士の教えを受け、メルヒェンやジェイルのことを学んでいる将来有望な少女だ。
視子が赤ずきんの笑顔から顔を背けた理由は、そのケーキもどきに何が使われているのかを知っているからだ。自分で作ったのだから当然ではある。
砂糖が手に入らないのに、そのケーキはなぜ甘いのか?
それを思うと、視子はとてもではないが赤ずきんの笑顔を直視できない。
一方、博士はケーキを食べる赤ずきんを微笑ましそうに見守りながら、タイミングを見計らって声をかける。
「赤ずきん、今日は他にもプレゼントがあるんだよ」
「ほんと!? なに?」
「ハルくん」
「へーい」
博士に「ハル」と呼ばれたのは、右目に眼帯を巻いたぼさぼさ頭の三十男。再編成された黎明の整備班に所属しており、高い技術力から専用の整備室を任されている。目つきが悪くぶっきらぼうだが、決して悪い人間ではない。
「ほれ、赤ずきん」
「……なにこれ?」
ハルに渡された大きな包みをばりばりと豪快に破る赤ずきん。その中に入っていた物は。
「わぁ~……おっきなハサミ……」
自分の身長ほどの大きさもあるハサミを手に持ち、赤ずきんはしゃきんしゃきんとその刃を鳴らす。本体は黒く、刃の部分は白い。
「赤ずきん、それはハルくんが作ってくれたお前のための武器だよ。それがあれば、今までよりももっと簡単に、多くのメルヒェンを倒すことができる」
博士の言葉を聞いて、赤ずきんは目を見開いた。
メルヒェン。人間を捕まえて拷問する、悪いやつら。
あたしが倒すべき、敵。
「博士! これ、早く使いたい!」
「落ち着きなさい。なにも今日でなくてもいいだろう」
「ううん、今日! すぐに!」
メルヒェンというのが何者なのか、人間がなぜこんな地下で暮らさなければならないのか、その理由を赤ずきんは博士に教えられている。そして自分のなすべき事も。
メルヒェンを倒し、その血によって塔を成長させ、地膜を破って地上へ脱出する。
それを聞いた時、赤ずきんは素直にそれを受け入れることができた。そうだ、あたしはメルヒェンを終わらせるために生まれてきた。そんな考えがごく自然に頭に浮かんだのだ。
「落ち着け。そいつはまだ試作品で、とりあえず使ってみてから色々と改良してかなきゃいけねーんだよ」
「じゃあとりあえず使ってみればいいじゃん!」
今までよりも簡単に、多くのメルヒェンを倒すことができる。赤ずきんはそう聞いて自分の血が騒ぐのを感じた。ケーキなんて食べている場合じゃない、と。
今すぐにハサミの切れ味を試したいと息巻く赤ずきんに、博士は困ったようなため息をつきながら提案した。
「仕方ないな……水族館に行かせてみるか。あそこなら、あまり奥まで行かなければ大丈夫だろう」
もともとこの街は水族館があったのだが、そこもジェイルの寄生により歪んでいた。中にいるメルヒェンは魚が擬態化したものであるため、そのほとんどはサイズが小さい上に水の中でなければろくに動けない。大きな種類や地上を自由に動き回れる種類は奥の方にしかいないことが調査によって確認されている。なので脅威は少ないと言えた。
「ハルくん、自警隊から何人か選んで一緒に行ってやってくれ」
「へいへい……」
「お父さん、行っていいの!?」
「ああ。ただしハルくんの言うことをちゃんと聞くんだよ。奥まで行きすぎない。大きなメルヒェンやナイトメアに出会ったら無理せず逃げる。そして、」
「スナークには絶対に手を出さない、でしょ? 分かってる!」
スナーク。五年前に初代の黎明メンバーを全滅に追い込んだ正体不明の化物。博士はそれをメルヒェン達の親玉ではないかと仮定し、もしも出会ったら絶対に手を出さずに逃げるようにと厳しく教え込んでいた。スナークだけは、血式少女でも絶対に勝てないと。
「気をつけて行ってきなさい。お前は私たちの大事な娘なのだから」
「うん! 行ってきます!」
「待てこらバカ頭巾。言うこと聞けって言われたばっかだろうが」
「バカじゃないもん! 離せー!」
走り出そうとした赤ずきんの首根っこを掴んで引きずりながら、ハルが隣の部屋へと消えていった。ダンジョンへ向かうメンバーを選びに行ったのだ。
後に残された視子が、博士に冷たい声で語りかける。
「まだ早いんじゃないですか? 大事な娘ならもうちょっと……」
「分かっている。しかし仕方ないんだ。人類がこの監獄から開放されるためには、彼女達の力を借りるしかない……」
博士は杖をついて右足を引きずりながら、長く伸ばした前髪に隠されている右目の傷跡に手を触れた。そのどちらも、黎明が全滅した監獄塔から逃げ出してきた時に負った傷だ。
「赤ずきんの次は、あの子ですか?」
「うむ。いずれ三人目、四人目も見つかるだろうが、今は……」
そう言って博士と視子は、研究室の奥へと続く扉に目を向けた。
「八……九……十っ!」
水族館に入ってすぐの広場で、赤ずきんは巨大なハサミを振るって魚型のメルヒェンを次々に切り捨てていた。
「あははっ、これすごーい!」
ハサミはいともたやすくメルヒェンの体を両断する。小型のメルヒェンとは言えその威力ははっきりと感じられた。メルヒェンの返り血が次々と赤ずきんの体にかかり、そのたびに目が一瞬ピンク色に光る。
赤ずきんは自分の頬についたピンク色の血をぺろりと舐め、恍惚の表情を浮かべた。
メルヒェンの血は、甘い。
「おい、あんま奥まで行くんじゃねーぞ」
「分かって……え?」
入り口付近に立っているハルから釘を刺された赤ずきんは、返事の途中で口を閉じ、通路の奥の方に耳を澄ませた。
「……誰かいるっ!」
そして、声が聞こえた方へ全力で走り出した。
「あっ、待て赤ずきん! 戻ってこい!」
ハルの制止の声を無視し、赤ずきんは奥へ奥へと走っていく。
「聞こえた……絶対、人間の声だった!」
そして、暗い通路を何度か曲がった先。
部屋中が、メルヒェンの返り血でピンクに染まっていた。
部屋の真ん中には人と魚が融合したMサイズのメルヒェンが一〇体ほどいて、そこに倒れている小さな女の子をよってたかって攻撃している。
「やめろおおおおおっ!」
赤ずきんはメルヒェンの集団に突撃し、ハサミを振るった。
一体、二体、三体……次々とメルヒェンを倒す赤ずきんだが、さすがに敵が多すぎて、少しずつ攻撃を受け始めた。このままでは自分もやられてしまう。
そう思った、次の瞬間――
ハサミで切断したメルヒェンの首から、大量の血が噴き出して赤ずきんの体を濡らした。
「あー」
どくん、と心臓が大きく一つ鼓動し。
そして、赤ずきんの目が、ひときわ強くピンク色に光った。
同時に髪が色を失い白く染まり、その頭からは狼のような耳が、腰からは尻尾が生えた。そのいずれも、ピンク色に光っていた。
「……あはっ、あははははは! あーっはっはっは! 死ね死ね死ねぇっ!」
狂気の笑みを浮かべながら、赤ずきんはそれまで以上に凄まじい勢いでハサミを振るい始めた。その一振りはメルヒェンの四肢を数体分まとめて切り跳ばし、頭から股間までを真っ二つに断ち割り、容赦なく血と臓物と死を振りまいた。
やがて一体残らずメルヒェンを倒してしまい、しばらくするとピンク色の耳と尻尾は消え、髪と目の色も元に戻った。
落ち着きを取り戻した赤ずきんは、倒れている女の子に駈け寄る。
「ねぇ! 大丈夫!?」
うつぶせに倒れているその体を抱き起こし。
「……えっ!?」
赤ずきんが驚きの声を上げたのも無理はない。
女の子もメルヒェンの返り血を浴びていたため、遠目には分からなかったのだが――
弱々しく赤ずきんを見返すその瞳が、ピンク色に光っている。
さらに、長い髪は色を失って白く染まり、ぼろぼろの服から伸びる足にはピンク色の鱗のような物がびっしりと生えていた。
「……痛い……痛いよぅ……」
かすれる声で女の子が訴える。その体を濡らす血はどうやら返り血だけではないらしく、女の子自身がメルヒェンの攻撃により多数の傷を受けて出血しているようだ。
「だ……大丈夫! すぐに帰って、ミコに手当てしてもらうから!」
聞きたいことはたくさんあったが、とりあえずそれどころではないと判断し、赤ずきんはその子の体をなるべく優しく抱き上げて歩き出した。
赤ずきんの腕の中で、女の子はあどけなく問いかける。
「おねーちゃん、誰……?」
「あたし、赤ずきんだよ。あんたは?」
お姉ちゃんと呼ばれたことが嬉しくて、赤ずきんは精一杯の優しい声で返す。
女の子は、まるで自分の名前が分からないかのように首を傾げる。
しかし、ふと思い出したかのように、こう答えた。
「わたし……わたしは、人魚姫……」
To Be Continued....
連載第7回は、7月9日発売の電撃PlayStation® Vol.618に掲載