壁に飛び散ったピンク色の血液は、時間が経つにつれて壁に染み込んでいき、徐々にその輝きを失っていく。
赤ずきんは、自らを『人魚姫』と名乗った傷だらけの少女を抱え上げて、メルヒェン達の死体がいくつも転がっている部屋から外へと歩きだした。
とにかく、黎明に連れて帰って博士やミコに会わせよう。怪我の治療もしなければならないし、それに、もしかしたらこの子は――
自分の腕の中でぐったりとしている人魚姫の顔を見る。
人魚姫の瞳はいまだピンク色に光っており、長い頭髪は真っ白に染まっている。破れた衣服から伸びる素足には、やはりピンク色に光る鱗。
赤ずきんは、それとよく似た姿の存在を知っていた。
自分だ。
メルヒェンの血をたくさん飲んだり浴びたりすると、赤ずきんの目はピンク色に光り、髪は白くなり、ピンク色の耳と尻尾が生える。そして、体の奥から力が湧いてくるのだ。
博士はその状態を『覚醒』と呼んでいた。今の人魚姫は、その覚醒状態にそっくりだ。
「ねぇ……あんたもしかして、血式少女なの? だからメルヒェンと戦ってたの?」
赤ずきんの問いに、人魚姫は不思議そうに目をしばたたかせる。
「けっしき…… しょうじょ…… ? めるへん……?」
「メルヒェンってのは、あたしが倒したこいつらのことだよ。あたしが来るまで、あんたが戦ってたんじゃないの?」
「……みんながわたしのこといじめるから……やめてほしくて、その中の一人を突き飛ばしたら、とがってるとこにぶつかっちゃって……ピンク色の血が、たくさん出たの。その血がわたしにもかかって……気づいたら、みんなを相手にして暴れてた……」
間違いない。自分と同じ『覚醒』だ。赤ずきんはそう確信する。
「でも、相手が多すぎて、いっぱい痛いことされて……もう、死んじゃうのかなって思ってたら、おねーちゃんが来てくれた……」
人魚姫が、ぎゅっと赤ずきんにしがみつく。少女を助けられたことと、その少女におねーちゃんと呼ばれたことが、赤ずきんは嬉しかった。
「もう大丈夫だよ。おねーちゃんが助けてあげるからね」
「うん……ありがとう、おねーちゃん」
「とりあえず、黎明に行こう」
「れいめい?」
「あたしの家だよ。お父さんとか、ミコとか、ハルとか、みんないるからね。怪我もすぐ治してくれるよ」
安心させるように優しい声で人魚姫に語りかけながら、しかし赤ずきんは若干の焦りを覚えていた。
ここはもともとこの街にあった水族館だ。水族館という建物はたくさんの人が歩き回る場所なのだから、それほど複雑な構造をしているはずがない。
しかし、ジェイルの寄生により擬態化して歪んだ元水族館は、本来の通路がふさがれていたり、逆に通路のような穴が壁に開いていたりして、まるで迷路のような様相を呈している。
先ほど人魚姫の声を聞いた赤ずきんは、周りの地形になど目もくれず、とにかく声を目指して走ってきた。そのため赤ずきんは、ここがどこなのか、自分がどっちから来たのか、そういったことが全く分からず……要するに、迷っていた。
「おーい! ハルー!」
「……赤ずきーん……どこだー……」
通路の奥から、ハルの声がかすかに聞こえる。しかしがらんとした水族館の壁に反響してどこから聞こえているのかよく分からない。
「んー……こっちかなー……」
なんとなく、こっちの方から聞こえた気がする、という方向に足を進める赤ずきん。
「ニンギョ、大丈夫?」
「……うん……」
人魚姫の返事から力が抜けている。思ったよりも怪我が酷いのかもしれない。それに加え、人魚姫がずっと覚醒状態なのも赤ずきんは気になっていた。自分が覚醒状態になった時は、メルヒェン達を倒せば元に戻るのだが。
現に今、赤ずきんの目はピンクではないし髪も白くない。耳も尻尾も消えている。なのに人魚姫はそのままだ。どういうことだろう?
とにかく、一刻も早くハルと合流して、黎明に帰らないと――
そう思いながら、通路の角を曲がった次の瞬間。
「がっ!?」
突然顔面を殴られ、赤ずきんは人魚姫を抱いたまま通路に倒れた。
顔を上げると、通路の先に人間と魚が融合した不気味なメルヒェンが何体も集まっていた。
「またきた……! ごめんニンギョ、おろすよ!」
「あっ……おねーちゃん……」
人魚姫を腕からおろし、赤ずきんは再びハサミをふるう。殴られた時にどこかを切ったらしく、鼻と口から真っ赤な血が垂れている。
不意打ちされて動揺した赤ずきんは、複数のメルヒェンに襲いかかられてうまく反撃できない。
一撃、また一撃とメルヒェンの攻撃を食らい、ピンク色ではない、自らの赤い血で汚れていく。
「あ、ああ……おねーちゃん……!」
「だいっ……じょうぶっ……! おねーちゃんが、守ってあげるから……!」
苦しそうに絞り出される赤ずきんの声を聞き、人魚姫の目が悲痛の色に染まる。
やがて、赤ずきんを攻撃していたメルヒェンの内の一体が赤ずきんの横を抜け、通路にへたり込む人魚姫へと魔の手を向けた。
「っ! ニンギョに、触るなあああああっ!」
自らが攻撃を受けるのも顧みず、赤ずきんは強引に身を捻ってそのメルヒェンにハサミを突き刺した。そして全力で刃を開き、メルヒェンの体を内側から引き裂く。
間一髪でメルヒェンは真っ二つに断ち割られて絶命し、その断面から大量の血が噴き出して、人魚姫の体をピンクに染め上げた。
赤ずきんはすぐさま前に向き直り、自分に向かってくるメルヒェンと再び戦い始める。
だから、気づかなかった。
「うっ……あっ……?」
大量のピンクの血を浴びた人魚姫が、目を見開き、苦しそうなうめき声を上げながら、痙攣し始めたのを。
「これで……最後っ!」
戦いながら、赤ずきんもメルヒェンの返り血を浴びて覚醒し、それによって戦況は覆った。負傷しながらもなんとか最後のメルヒェンを倒し、ようやく息をついて振り返る。
「ニンギョ、だい……じょう、ぶ……?」
見下ろす人魚姫の様子が、先ほどまでとどこか違っていることに、赤ずきんは気づいた。
なんだろう。基本的には変わっていない。ピンクの目。白い髪。白い肌――肌?
おかしい。さっきまで人魚姫は、ぼろぼろではあったが服を着ていて、肌が見えているのは足だけだった。なのに今は、上半身がほぼ裸で、その下半身も――
「……え?」
赤ずきんは、目を疑った。
人魚姫の下半身は、さっきまでは確かに、二本の人間の足だった。
それが今では、完全にくっついて、大きな魚の尾になっている。
その姿は、まるで本物の人魚姫のようだった。
そして、次の瞬間。
『ガァァァァッ!』
いきなり人魚姫が赤ずきんの足に跳びかかり、その柔肌に、噛みついた。
「痛いっ! 何するの、ニンギョ!?」
ふりほどこうとするが、人魚姫は信じられない力で赤ずきんの下半身にしがみつき、その体を引き倒す。そして足から口を離し、次は腹部に噛みついた。
「ぎゃあっ! やめて、やめてよニンギョ! 痛いよ!」
赤ずきんが懇願しても、人魚姫は止まらない。
魚の尾となった下半身でびたびたと地面を叩きながら、赤ずきんの腕に爪を食い込ませ、今度は喉に食らいつこうとする。
赤ずきんに向けられたピンク色の目に映るのは、紛れもない――殺意だった。
「い……いやだああああああああああっ!」
無意識に。
赤ずきんは、右手のハサミを突き出していた。
その刃は、人魚姫の裸の胸を貫いた。
「……あ……」
自分が何をしたのかに気づき、愕然とする赤ずきん。
人魚姫が、きょとんと目を丸くして、自分の胸を見下ろす。
『……オネー、チャン……?』
不思議そうに呟きながら、赤ずきんを真っ直ぐに見つめて。
そして人魚姫は、死んだ。
「メルヒェンではないな。血式少女だ」
黎明本部で、ハルが持ち帰った人魚姫の死体を調べた博士は、そう結論した。
「新たな血式少女を見つけたと思ったら、まさか死なせてしまうとは……ハルくん、君がついていながら、残念だよ」
「……悪かったよ」
今の黎明の最優先目標は、赤ずきんのような血式少女を一人でも多く見つける事だ。ハルは素直に自らの非を認め、言い訳もしようとしない。これ以上責めても意味がないと思ったのか、博士は一つ大きなため息をついて気持ちを切り替えた。
「しかし、どういう事だろうな……赤ずきんの話によると、この人魚姫は、私達がまだ知らない覚醒の仕方をしたようだな」
「ああ。俺も見たわけじゃねぇから何とも言えないが……赤ずきんを慕ってたはずなのに、問答無用で襲ってきて、言葉も通じなかったって話だ」
「覚醒にはもう一段階ある……? 正の覚醒と負の覚醒……? メルヒェンの血を使って、さらなる実験をする必要が……」
ぶつぶつと呟き始める博士に、ハルは少し眉間に皺を寄せて。
「……それも大事な事だけどよ。赤ずきんも、どうにかしねぇとだろ」
赤ずきんは、人魚姫の死体を抱きしめて泣きわめいているところをハルに保護された。
泣き疲れた後は放心状態になり、黎明に帰ってかろうじて博士の質問に答え、今は部屋に引き籠もっていた。その心の内は、周りの人間には推し量れないだろう。
だが、このままにしておくわけにもいかなかった。
「赤ずきんか……そうだな。仕方ない、まだ早いと思っていたが……」
そう言って博士は、研究室の奥へと続く扉に手をかけた。
「赤ずきん。入るよ」
ノックの音と博士の声がして、部屋の扉が開く。
赤ずきんはベッドの上で膝を抱え、フードを深く被ってふさぎ込んでいた。
自分をおねーちゃんと呼んでくれた、初めてできた妹を、自分の手で殺してしまった。何も考えたくない。誰とも話したくない。狼にでも食べられてしまいたい――そんな悔恨の念が、際限なく赤ずきんを蝕んでいる。
「赤ずきん、お前に会わせたい子がいるんだ」
博士の優しい声にも、赤ずきんは反応しなかった。
だが――
「ほら、入りなさい」
「は、はい」
博士に応えた声に、赤ずきんはぴくりと顔を上げた。
自分と同じか、少し幼いくらいの女の子の声。そう、ちょうど人魚姫くらいの――
赤ずきんが顔を上げると、部屋の入り口に、少女が立っていた。
青い髪が腰に届くほど長く、耳の上辺りで黒いリボンを結んでいる、かわいらしい少女だ。
「さぁ、自己紹介をしなさい」
博士に促されて少女は一歩進み、緊張した様子で口を開いた。
「シ……シンデレラと申しますわ」
目を丸くする赤ずきん。誰? と博士に視線を向ける。
「お前と同じ、血式少女だ。お前の……妹だよ、赤ずきん」
妹。
その言葉が、凍りかけていた赤ずきんの心をゆっくりと溶かしていく。
シンデレラと名乗った少女は、少し照れくさそうに続ける。
「よ、よろしくお願いいたしますわ……お姉様」
姉、と呼ばれて。
赤ずきんはベッドを飛び降り、シンデレラに駆けよって、その小さな体を抱きしめた。
「きゃっ!? な、なんですの!?」
戸惑うシンデレラを、赤ずきんは強く、強く抱きしめる。
今度こそ。
今度こそあたしは、姉として、この妹を守ってみせる。
To Be Continued....
連載第8回は、7月28日発売の電撃PlayStation® Vol.619に掲載